「できない」という遊び
クライミングは「できない」を楽しむ大人の遊び と聞いたことがあります。
キッズの多いジムで働いていたころ、ほかのスタッフさんからよくこんな相談を受けました。
◇ 頑張って登っているキッズが、身長がどうしても足りなくて登れない。ホールドを変えてもいいですか?
大人でも身長(手足の長さ)がないからできない・・よくあるようなお話です。あなたはどう思うでしょうか?ジム側の人間でなくても、クライミングをしている人は考えてみてください。
クライミングの楽しみ・醍醐味って何ですか? できること・できて当たり前のことだけをするのがクライミングでしょうか?
また、できないことは悪いことなのでしょうか?
出来ないことに対する努力や工夫、それを通して初めて味わえる達成感。出来ないことがあるからこそ、成長があると言えます。出来ないことが解るからこそ、自分の伸びしろがわかります。出来ないことに対する忍耐力、想像力、解決力。出来なかったとしても自分と向き合える人間性。
出来るように課題を作り変えてしまうというのは、このクライミングの醍醐味をすべて奪ってしまうことに他なりませんか。
それは その人に優しいことではなく、可哀そうなことをしていると思います。とくに強くなりたいと思っている人にとっては大きなお世話です。
確かに、課題には良し悪しがあります。それも完全な結論はありません。必ずしも登る側の技量が足りないとは限らないので、常駐しているスタッフがお客さんの登りを見て修正していくのは大切なことだと思います。でも、そこで ただゴールを掴みたいためだけに修正することはできません。それもグレードや課題のコンセプトによりけりです。ジムのスタッフさんたちは色んなことを考えた上でやってると思います。
また初心者さんからよく聞くのは
◇ クライミング(ボルダリング)って 意外とたいへん。しんどい。ボーリングの方がラクで楽しい。
申し訳ありませんがその通りです。なので私が伝えたいのは、その先にかけがいのないものがあること、そしてできないということは決して悪くないということです。恥ずかしいことでもありません。チームじゃないので他人に迷惑をかけることもありません。
どことなく世間の風潮もあるでしょうが、出来ないことがダメなことで悪いこと、恥ずかしいことだと色濃く感じているようです。
そうではないよ、時間をかけて努力のすべてが自分に帰ってくるよと はじめはできなくていいと 教えてくれるのがクライミングです。
特にR&Fでは、初心者さんがスタートするような課題も、一発で出来る・力任せで出来る課題はかなり少ないです。早速つまらないと思う人もいるでしょう。ほかのジムより辛くてつまらないと思う人もいるでしょう。でもそれは出来て当たり前とどこか思っているからです。
そこで、「できない」を工夫して楽しむのがクライミングの良さなんですよ と伝えられるジムスタッフでありたいと 私は思ってます。
はじめは出来ないとつまらなそうにしていた人が努力しているところを見ると感動します。もちろんクライミング中心の生活でない人がほとんどなので、自分の生活ペースに合わせてやってください。そこも良さです。
クライミングの懐は深いです。努力できるすべての人に心身ともに成長の道が開かれています。