岩は誰のもの①ティックについて
こんにちは!スタッフの宮嶋です。4月で桜がきれいですがあっという間に雨に降られてしまいましたね。場所によっては、岩を見ながら・・ じゃない 花を見ながら登れるんじゃないかなあと思ってたのに残念。
豊田のシーズンも終わりいよいよフクベや恵那の山エリアが入れるようになりましたね!木漏れ日の差す岩々を見ていると、岩や自然がとても優しく見えてきます。登れるという喜びは、競争や征服の気持ちとはやっぱり違うのではないかなと思います。
保持力がホールドと仲良くなってついてくるものならば、登れるというのは岩と仲良くなるということでしょうか。強いというのは、岩の前で自由になれるということなのかもしれません。
さて、先日豊田などで落書きに近いティックマークが問題となりました。私も目の当たりにしましたがそれは酷いものでした。かぶりの内面なので雨も当たらず、水を含んだブラシでこすっても取れませんでした。
ティックマークとは、クライマーが岩を登る際みえにくいホールドの位置を示すためにチョークでマークを付けることです。本来これらは岩を去る際きれいに消していくのがマナーです。
これも大げさに大きくつけていくのと、小さく点でつけていくのとありますが、これについてどう思われるでしょうか?
私はもともと絵を描く人間だったので、ティックマークをつけないと位置が分からない=岩の形を覚えられない から何となくカッコ悪いのでは・・と勝手に思っていました。必死に登っていれば見失うこともあるし、そのおかげで完登できればもちろん付けたほうが賢いに決まっています。
けれど極端に大きく書いてしまうことについては岩も汚れるし、単純に絵的に見栄えは悪いような気がします。人の手が加われば加わるほど、それは自然ではなく人工に近いものになっていきます。岩を登るというのは、小さいボルダーであっても自然に挑む・遊ぶことではないのでしょうか。
豊田の大給に行ったとき、小さなティックマークが残っていることがありました。花崗岩特有の小さなホールドばかりの場所なのでティックマークが重要になります。本当にわずかについていただけなのですが、私もそれを目印に登りました。あまり時間をかけたくなかったのでありがたかったです。
もともとついていたので、帰るときに消そうか迷いました。というのは、そこはジムの代わりになるような気軽さで来れる高さ・場所だからです。そのときは敢えて消さずに帰りました。もはや公園として、みんなが登る場所として開かれた場所であるために、わざわざ前の人がつけたのを消さないのもアリなのかなと思いました。 もちろん基本は残さない、です。ムーブをイチから考えたい人もいるでしょうから。やっぱり消しとけばよかったなあ笑
最近気づいたことです。
自分の中で挑戦的なグレードをやる場合、ティックマークで見えにくい箇所を書きます。もちろん点で。で、ムーブを組み立てていく際、少しずつ変わったりしていらないものがでてきます。3つ候補で書いたのを、トライの中で不要なものを一つずつ消していく。 自分のムーブがクリアになっていく過程がとてもさわやかで気持ちよかったです。これこそ、岩と仲良くなっていく感じ笑
心が決まってくると動きもスムーズになっていきます。だんだん岩との距離が縮まってきますね
そして、向き合って得た情報は自分で消していく。かっこいいではないですか。
自然と遊ぶというのは面白い行為です。
ティックマークについて書きましたが、岩は人間のものではないですよね。土地所有者のものだというカタい話でもありません。岩は自然のものです。これに尽きますし、岩が自然だからクライミングは面白いんではないですか。極端にチョークだらけになった岩を見て残念な気持ちになるのは、それが人の手にまみれたように見えるからです。落書きやチッピングなんて論外です。
逆に、奥地で易しい課題のホールドがチョークまみれになっているのを見て、「この岩はたくさんのクライマーを育てたんだな」と思えることもあります。チョークのつき方の違いですけど。
いずれにせよ、岩は自然のものであって、人間のものではありません。クライマーは人間ですが、自然と遊んで岩に向き合っている限り岩を自分のモノのように扱っては本末転倒だと思うのです。
初登者がムーブを限定してしまうのも、私は岩を人間のモノにしてしまう行為なのではと思っています。これについては次の回で書きたいと思います。